2012年04月09日

それでも、「石原新党に期待しなければならない」

それでも、「石原新党に期待しなければならない」
http://cgi.www2u.biglobe.ne.jp/~t-tutiya/cgi-bin/diarypro/diary.cgi

今度は、石原批判です。

posted by yamatonoibuki at 07:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本創新党 | 更新情報をチェックする

2012年03月06日

日本創新党の評判

ヤフー知恵袋で削除になってますが、キャッシュが残っていました。
事実かどうかはわかりません。

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:faUzvs2GrdQJ:detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1281915622+%E6%A9%8B%E4%B8%8B%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%A1%BE%E3%80%80%E5%9C%9F%E5%B1%8B%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%82%86%E3%81%8D&cd=8&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

どうなってんの?維新の会と日本創新党

renho38_ver2さん

どうなってんの?維新の会と日本創新党

維新の会と日本創新党の関係は?土屋たかゆき都議、小坂荒川区議らが所属している日本創新党。党首は元杉並区長で保守と言われている山田宏である。ところがこの山田さんは維新の会の顧問になっている。仮にも党首が地域政党とはいえ他党の顧問になるとはどういう事だろうか。また、日本創新党代表幹事の中田宏は既報の通り3月開講予定の「維新政治」の講師に就任している。この中田宏という人は保守から総スカンされている人物だ。ある議員は「この人がくる前は日本創新党は山田さんの考えでまとまっていて、参議院選挙決起は靖国に集まろうということも決まっていた。真正保守政党の誕生とまで言われてムードは盛り上がっていた。ところがこの中田さんがはいってきて流れが変わってしまった。この人はとにかく目立つ事が好きで、カッコつけたがり、一時はハレンチ中田と呼ばれていたほど女にもめがない。その中田の意向で突如六本木で党大会を行う事になった。党大会なのになぜか沖縄のアーティストが歌を歌ったりするおかしな内容になり、結果、膨大な費用がかかっただけで大失敗。さらに参議院選挙決起の時、山田党首ら中田以外は全員靖国に集まったのに、中田は地元の神社に行くとかで靖国参拝を拒み、結局こなかった。党所属議員でさえ当日の朝まで中田が靖国にこない事を知らされていなかった。これらのドタバタを見た保守派から日本創新党は軽薄で、とても保守とは言えないとレッテルを貼られ、そこからは全くいいところなく、選挙結果も散々、党首も落選する始末となってしまった」
今や見る影もない日本創新党。党首も代表幹事も自分の党を捨てて維新の会から出馬しようなんて考えてるんじゃないでしょうね。それなら日本創新党を応援してきた支持者や、山田党首を信じて日本創新党に命を預けた議員たちに説明がつきますか?昔から中田氏を見てきたという関係者は「こういう無責任で自分さえ助かればよいという考えは日本人的ではなく、ある意味中田さんらしい考えだと思います。これを良しとする橋下市長も同じ穴の狢。 実は山田、中田、橋下はスポンサーが同じ。金の出所が同じなんですよ。だからこういう事になる、主義主張や理念で集まってるわけじゃないんですね。もうこういう人たちに騙されるのはやめましょう。芸能人だとか、テレビで顔を知っているという人に投票しない事です。

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jotakingipさん

そもそも堺屋太一からトンデモナイじゃないですか。経企庁長官の時から経済学っぽい言葉をしきりに使っていましたが、デタラメでした。(私、一応修士なんです。)当時マクロの先生から頭悪くなるから話し聞くな、と指導されたくらいです。余談ですが、私はあれで通産官僚を疑うようになりました。
中田の悪評はあまりにも有名で、私の同期で上級受かって市の役人になったのがいますが、うっかり話題にすると怒り出します。
彼は横浜の土を生涯踏めないでしょう。私は横浜市民ですが、周辺の実業家達は憎む気も起こらないほど嫌っています。
あとの人のことはよく知りません。
少し真面目な話をしましょう。
道州制ですが、日本に東京とシンガポールマカオと香港出来たらいいなって言うような話です。
東京、大阪、北九州、名古屋、仙台、やっと新潟くらいまでが元気な国際都市になればそれは凄いです。
出来るかも知れません。でも、近未来の話では無いでしょう。
妄想ですね。

posted by yamatonoibuki at 09:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本創新党 | 更新情報をチェックする

2012年02月26日

「南京事件はなかった」 山田宏・創新党首も発言

私個人は日本創新党ファンではありませんが、
良いことを言うときは、ちゃんとブログにて評価します。

自民党谷垣さん。
この件の賞味期限は今晩中と思います。
賞味期限切れてから、実は私も………と言ったところで、評価されません。

発言するということはリスクを負うということなんです。
リスクを負おうとしないことを見透かされてるから、お公家さんと言われ続けるのです。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120226/stt12022618510002-n1.htm

「南京事件はなかった」 山田宏・創新党首も発言

2012.2.26 18:51 歴史問題・昭和史
 

 日本創新党の党大会に臨む山田宏党首(右)と中田宏代表幹事=2月5日、東京都渋谷区

 日本創新党の山田宏党首は26日、大阪市内で開いた支援団体のパーティーで講演し、河村たかし名古屋市長が「南京事件はなかった」と発言したことに触れて「河村さんの言うことは正しい。南京事件はなかった。日本人が敗者としての歴史観を植え付けられてしまった」と見解を述べた。
 山田氏は、南京事件を否定する理由について「事件は昭和12、13年に起きたといわれるが、他国の首都で何十万人もの虐殺があれば、首都には多くの外国人記者がいるから世界中で大問題になったはずだが、報道はなかった」と説明。「日本人の祖先のために、おかしな汚名をはらす努力をすべきだ」と述べた。
 講演では、橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」と創新党との連携もアピール。「大阪の動きに強く期待している。国家観、歴史観が共通する人が集まって第三局ができればいい」と訴えた。


山田宏公式ブログ

http://www.yamadahiroshi.com/blog.shtml?0#d187

「南京事件はなかった」

2012.02.22

名古屋市長の河村市長が、当地を訪れた友好都市の中国南京市の代表団に述べた「南京事件はなかった」という発言は、名古屋と南京の交流中止に発展した。

河村市長は、この勇気ある発言を断固貫き、この際ぜひ中国や南京市に公開討論会を申し込んでほしい(その時は、私も「参戦」しよう)。
(おそらく公開討論会を彼らは拒否するだろうけど)

河村市長は、就任時にも「南京虐殺はイリュージョン(幻想)」と発言しているが、それは事実をよく踏まえると正しい発言だ。

まず、「南京事件」なるものが、初めて!国際社会で取り上げられたのは、それが起きたとされている1937〜38年ではなく、それから9年もたった日本敗戦後の東京裁判の時だ。それまでは、ごく少数の戦争宣伝を除けば、次の歴史文書が示すように全くと言っていいほど国際社会には登場しない。30万人も虐殺されたなら、当時から大問題になってなければおかしい。
南京は当時の中国の首都。日本の南京占領時にもたくさんの外国人記者がいたのだから。


次に、国民党政府国際問題研究所監修の1939年発行の「南京安全区公文書集」(Documents of the Nanking Safety Zone)によれば、日本軍が南京を占領した1937年12月における南京の人口は約20万人だが、それから1ヶ月後の38年1月14日の人口は約25万人と記されている。虐殺が行なわれたとされているのに、人口は減るどころか増えている。それは、日本軍が市内の治安を保っていることがわかって、逃げた人口が戻ってきたことを示しているのではないか。これは当時の中国側の資料だ。

また、台湾の台北にある国民党党史館に納められている「国民党宣伝部国際宣伝工作概要1938〜1941」の記載は、日本が南京占領する1937年12月1日から1938年10月24日までの11ヶ月間に漢口で300回にもわたって、国民党による外国人記者会見が行なわれたが、ただの一度も南京での虐殺に触れられていない。南京で日本軍による虐殺があれば、触れないのはおかしい。

さらに、当時の在日米国大使館付武官であったキャボット・コーヴィルが、1938年5月2日に本国に送った「南京調査報告」では、次のように記載している。
「南京の安全区は幾分とるに足らない問題もあったが、(日本軍は)ほぼ満点の配置だった。それとは対照的に大事なことは、中国兵が安全区を尊重しなかったことだ。多くは軍服を脱ぎ捨て安全区に避難した」
当時も今も、軍服を脱いだ軍人は、国際法の保護を受けない。軍人が捕虜として保護を受けられるのは、きちっと軍服を着ている場合であり、そうでない場合不審な行動をとれば射殺されてもやむを得ないのだ。

「南京事件」なるものが、初めて国際社会に登場したのは、1946年から始まった東京裁判である。その時に「証拠」として提出された写真は、東中野修道氏の研究によってすべて証拠能力がないと証明されている。
 戦争は武力だけでなく、「相手が悪い」という宣伝戦を展開するものだ。特に孫子の国のシナ民族は、これが得意だ。東中野氏が証明したこれらの写真は、ほとんどすべてが戦争中日本軍の「蛮行」を印象づけるためにつくられた偽造写真のたぐいで、これらの写真が南京の「虐殺記念館」に飾られている。

米国は、広島と長崎に原爆を落とし、また無防備の日本の諸都市に焼夷弾の雨を降らして、多くの民間人を「虐殺」した。これは明らかな国際法違反のホロコーストだった。負い目のある米国は、日本もヒットラーと同じように裁くために日本軍による「虐殺」を探そうとして、当時ほんの一部で宣伝工作として使われていた「南京事件」を東京裁判に持ち込んだのだと考えられる。

今年は「南京事件」から70年の年だ。昨年中国では、「南京事件」をテーマにした「The Flowers of War」という映画が公開され、おぞましい日本軍の「蛮行」シーンに観客が憤慨したという。この映画はこの4月から世界で上映されることになる。
中国が80億円もの資金を投入し、中国人の有名監督がハリウッドの有名俳優を使ってつくった国策映画だろうが、ハリウッドの評価は最悪のようだ。しかし、歴史はこうやってねつ造されていく。

日本政府が手をこまねいて傍観していてはならいない。

どこかの国は、ことあるごとに「歴史を直視しろ」と言うが、そろそろ事実と証拠に基づいて「歴史を直視」すべきだ。河村発言がそのきっかけになればいい。



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2012年02月13日

TPP賛成の「維新塾」応募を取り下げた土屋たかゆき議員

日本創新党の土屋たかゆき東京都議会議員は、TPP賛成の「維新塾」応募を取り下げたんだそうです。

このブログでは、いろいろ書いてきたことですが、やっと幻想に気がつかれたようです。




TPP賛成の「維新塾」応募を取り下げた

http://cgi.www2u.biglobe.ne.jp/~t-tutiya/cgi-bin/diarypro/diary.cgi

posted by yamatonoibuki at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本創新党 | 更新情報をチェックする